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突発性難聴の経験

乳がんに気付いた時、一刻も早く治療を開始したい、と思ったのは、過去に突発性難聴を患った時、迅速な治療のおかげで回復した経験があったから。

16年前のある朝、突然左耳が聞こえなくなった。
ロビンが私の左側から、いつものように元気よく吠えた時、なぜか「ワンワン!」ではなく「バリンバリン!」という衝撃音を感じた。そして電話がかかってきて、受話器を左耳にあてたら何も聞こえないので「朝から無言電話?」と思いつつ右耳にあてたら相手の声が聞こえた。左耳が聞こえてないことに気付いた瞬間だった。

その日は午前中通訳学校の授業があったので、準備をして家を出たけど、こんな状態で授業を受けても英語なんて聞き取れないだろうなと思った。少し前に姉が「耳が聞こえにくくなったので耳鼻科に行ったら蓄膿症のせいだった。膿を取ってもらったらすぐ治った」と言ってたのを思い出して電車を途中で下り、総合病院の耳鼻科を受診した。

検査をしてすぐに「突発性難聴だと思われます。このまま入院することをお勧めします。」と言われたけど、なんだかあまりに急な展開だったので、すぐに「分かりました」と言えず、「入院しないで治したい」などと言って断ってしまった。当時この病気に関する情報はあまりなく、初めて聞く病名だったので、事の重大さに気付いてなかったのだ。そして点滴だけしてもらい病院を後にした。

当時は毎日かなり根を詰めて通訳の勉強をしており、移動の電車やバス内でもいつもイヤホンで英語のスピーチを聞いていた。家に着くまでの間、いつものようにイヤホンで聞いてみたけど、やはり左耳はまったく聞こえない。

家に着いてインターネットで「突発性難聴」を調べたところ、すぐに治療しないとそのまま聴力が回復しない可能性もあることが分かり、これはまずいと思った。何人かの経験談を見つけて読んだ中に、病院で治療したけど治らなかったので鍼灸院で鍼治療したら少し回復した、という内容があったので、そこに書かれていた鍼灸院に電話してみた。すると鍼灸師の方が「今日聞こえなくなったんですね?だったら今すぐ入院して治療すれば治る可能性が高いです。あなたが今行くところは鍼灸院ではなく病院です。病院できっちり治療しても治らなかったら、鍼灸院にいらっしゃい。」と言ってくれた。

すぐに入院!と思ったけどその日は金曜日で時刻は既に午後4時を回っていた。こんな時間ではどこの病院も新規の入院患者を受け入れてはくれない。でも月曜まで待ったら手遅れになるかも。行ける範囲にある病院何カ所かに電話して断られた後、ようやく「仕方ないなあ、じゃ今から来ていいですよ」と言ってくれた病院があったので、大急ぎで入院の支度をしてバス→電車→地下鉄(地下鉄は騒音が大きいからやめた方がいいと鍼灸師さんに言われてたので乗車中はずっと手で耳をふさいでいた)→タクシーと乗り継いで5時半ごろ病院に着き、血液検査などしてそのまま入院させてもらった。夫には途中バス停から電話して「今から入院するからよろしく」と言ったら夫は「え?何?入院?」と。

翌日から星状神経節ブロック注射というものを首の付け根辺りに毎日打ってもらった。すると聴力はめきめきと回復して、1週間後には以前と変わらないぐらい普通に聞こえるようになったのだった。あのまま左耳が聞こえなくなっていたら、現在のように映像翻訳の仕事をすることは難しかったかもしれない。あの日電話で「今すぐ病院へ行きなさい」と言ってくれた鍼灸師さんに今も感謝しています。

そういう経験があったので、乳がんかもしれない、と思った時に「今すぐ病院へ行って治療しなくては!」と思ったのでした。

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by honyakusha | 2017-06-29 06:14 | 乳がん | Comments(0)

マンモグラフィーでは見えなかった

当初は、「腫瘍は1センチ程度でおそらく1期でしょう」という話だった。
MRI検査の結果、腫瘍が思ったより大きく、2センチ以上あるということが分かった。
腫瘍が2センチ以上となると、既にリンパ節に転移している可能性もあり、激しく不安になった。

1年4カ月前の乳がん検診時、すでに腫瘍はあったのに見つからなかったようだった。
検診を受けた病院は、手術予定の大学病院と同じ系列で乳がんに関しては最新の設備がある専門クリニックなので、手術前のMRIもわざわざこの病院に行って受けるよう指定されたのでした。

そんな最先端の病院の検診でなぜ発見されなかったのか。
「ちぇりさんの場合、マンモグラフィーの画像が真っ白でほとんど見えないんですよね。」と優しい女医先生は言った。
どういうことかと言うと、私は40歳で双子を出産し、42歳まで双子に授乳していた。双子を母乳育児するのはとっても大変なのでミルクに切り替える例も多いけど、私は割と母乳の出が良かったので、というか出産した病院がものすごく母乳育児にこだわっており、母乳以外あり得ないようなことを言われ、かなり頑張った結果出るようになったのだった。産後まもなく仕事も再会していたのですごく大変だったけど、双子が2歳4か月になるまでずっと授乳していたのだった。

その結果、45歳の時点でも乳腺が極度に発達した状態のままだったため、マンモグラフィーの画像に白く写るはずの腫瘍が、同じく白く写る乳腺組織に紛れてしまい見えなかったらしい。
検診時の画像はまだ残っていたため、女医さんもそれを見て先ほどのコメントになったのでした。
検診では超音波検査もしたので、たぶんそちらでは見えていたのではないかと。
でも超音波は異常に気付かなければ画像は残さないので、もはや分からない状態だった。

世間では、40代以降の乳がん検診ではマンモグラフィー検査が有効、と言われてる。
でも高齢出産して双子に授乳した私の場合、45歳でもマンモグラフィー検査は役に立たなかった。

優しい女医先生が、今回はカルテに乳がんのステージは「2期」と書くのを見ながら、
検診の時、最初から超音波できっちり検査していたらその時点で腫瘍が見つかっていたのかもしれない、もしそうだったら0期や1期で転移の心配などしなくて済んだかもしれない、などと考えて悲しくなった。

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by honyakusha | 2017-06-27 14:52 | 乳がん | Comments(0)

乳がんに気付いた日

今日は午前中のうちに仕事を1本納品してスイミングへ。ストレッチ30分の後、1400メートル泳いできました。
週の始まりの日曜に教会の礼拝で心をリセット、月曜に泳いで体をリフレッシュさせるというのが、私にとっていいペースです。

私が自分の乳がんに気付いたのは、自己検診でした。
骨折手術から退院した日の夜、ベッドに入り「今回の入院で家族に迷惑かけたから、今後は健康に過ごせるようにしなきゃ」と思い、そろそろ乳がん検診の予約も入れよう、その前に自己検診…と横になったまま胸を手で触ったら、あったのです。小豆より小さいけど米粒より大きな何かが左の胸に。

暗闇の中で思わずガバッと起き上がり、頭の中でいろんなことを考えました。そしてすぐに仕事部屋に行きPCを立ち上げ、山田邦子さんが自身の乳がんに気付いた時のことを書かれたサイトを読んで、「間違いない」と思いました。

当時私は47歳。1年4カ月前に乳がん検診のマンモグラフィーを受けていました。この辺りでは最も進んだ設備のある乳がん専門の病院で。その時に「右胸に石灰化があるから少し詳しく調べましょう」ということになり、日を改めて再度マンモグラフィーと超音波検査も受け、「特に心配はないからまた1年半後ぐらいに検診を受けてください」と言われたのでした。左胸に関しては単に「異常なし」でした。

自分で「これは乳がんだ」と思い、すぐに大学病院の乳腺外科を予約なしで受診しました。(受診者の急増に伴い、現在は紹介状なしだと診てもらえないようです。)足の手術からまだ10日しか経ってないので松葉杖でヨロヨロ歩く状態だったけど、とにかくすぐに治療を開始したかったのです。朝いちばんで病院に行き、診察してもらえたのは夕方だったけど、それでもその日のうちに針生検まで受けました。医師からは「たぶん良性の腫瘍だと思うけど、万一悪性だったとしても、前回の検診で左胸は異常なしだったからステージはおそらく1期でしょう」と言われました。

2週間後に生検の結果を聞きに行きました。その間何も連絡はなかったので、きっと良性なんだろうと思い家族でスキーに行ったりして(骨折前に予約していたので。私は温泉でのんびり)ほとんど忘れていました。

気軽な気持ちで診察室に入ったら「やはり悪性でした」と言われ、は?と意外。でも気を取り直して手術日程を決め、その場で夫に電話して「手術日決まったから子供たちをよろしく」と伝えました。夫は「え?何?手術?」と。


続く。

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by honyakusha | 2017-06-26 13:47 | 乳がん | Comments(0)

乳がんになったけど

小林麻央さんが亡くなった。
とても厳しい状況だと分かってはいたけど、少しでも長く生きてほしいと願っていました。
私も同じ乳がん患者として彼女に励まされた一人です。

乳がんが判明した時の気持ち、それは絶望と恐怖でした。
自分の周りには乳がんになってもその後元気に生き続けている人がいなかったから。
骨折手術の直後だったので整形外科も受診しており、
「実は乳がんの手術をすることになりました。」と言ったら医師は
「僕が診てる患者さんの中にも、乳がんの既往がある人はすっごくいっぱいいます」と、
おそらく私を励まそうとして言ってくれた。
でも、私の周りには乳がんで亡くなった人はいるけど、その後元気に生活してる人は思い当たらなかった。
乳がんに関する情報を得ようとインターネットを見ると、結果的に悲しい気持ちになることが多かった。

手術で左胸を全摘同時再建して、今年の3月で術後4年が経過しました。
今の私は以前と変わらないぐらい元気に母として家事育児をこなしながら翻訳の仕事をしています。
病気をきっかけに始めた水泳は、1時間に1400メートル泳げるまでになりました。
もっといい翻訳者になりたくて、週に1回学校にも通っています。

乳がんになったけどその後元気にしてる人は、それをあまり人に言ったりブログに書いたりしないから目立たない。でも整形外科を受診する時は問診票に既往歴として書かざるを得ないため医師の目から見たら「すっごくいっぱいいる」。
そういうことなのだろうと思います。

小林麻央さんが、病気でつらい思いをしている人たちの力になりたいと願っていたと知り
私のような人間がいることが、誰かの励みになればと思いました。

麻央さんの美しい心は、これからも毎日たくさんの人を笑顔にしていくと思います。



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by honyakusha | 2017-06-24 06:50 | 乳がん | Comments(0)

「ピックアップ」販売終了

先日、「カール」が東日本では売られなくなるという報道に「ええー、寂しい」と思いつつドラッグストアに行ったら「カール チーズ味」がまだ売られていたので、買って食べてみました。“6種のチーズ”ということは”セイ・フロマッジョ”?オシャレじゃん、と思いつつ。

私が通った小学校は4年生の社会見学で明治製菓に行きました。お土産にカールの小袋や「金棒くん」が入ったお菓子の詰め合わせや、社名入りのプラスチック定規がもらえると聞いて、早く4年生になりたいな、と思ったものです。待ちに待った見学の日、工場内の映写室で、お菓子の生産から消費者の手元に届くまでの流通を学ぶビデオを見ました。カールが空を飛んで徐々に消費者に近づいていくアニメ映像で、当時「カール」は明治製菓の一番人気だったのだろうな。

そしてさりげなく、ピックアップも販売終了とのこと。昨日ドラッグストアに行ったら、もうカールはなかったけどピックアップはまだあったので、買ってみました。懐かしい。箱入りというのが少し気取っていてカールとはまた少し違う位置づけでした。近所の映画館で「東映まんがまつり」を見る時、ピックアップを館内の売店で買って食べながら見るのは最高にうれしいひと時でした。

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あの頃のうれしい気持ちがよみがえる、やさしいチーズの風味です。

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by honyakusha | 2017-06-20 09:43 | 食べ物 | Comments(0)

「ガール・オン・ザ・トレイン」

そう言えば、「ガール・オン・ザ・トレイン」の感想をまだ書いてませんでした。
これはレンタルDVDで観たのですが、私的にはすっごく面白かったです。面白い、というのとは少し違うかな。家で映画を見る時は何だかんだで途中で中断しつつ時間をかけてしまうことも多いのですが、これは最後まで一気に観ずにはいられない作品でした。

「スプリット」を劇場で観たすぐ後でしたが、「ガール・オン・ザ・トレイン」の方が劇場で観たらすごく怖かっただろうな。物語は非常に淡々と進むんですが、次々と新たな事実が明るみに出て、えっっ…そ、そうだったの!?という展開でどんどん引き込まれました。好きだなあ、こういう心理的サスペンス。

登場する女性3人もそれぞれが魅力的な女優さん(エミリー・ブラント、レベッカ・ファーガソン、ヘイリー・ベネット)が演じていて、彼女たちの他の作品も観たくなりました。男性監督作品であることが意外なぐらい女性の描き方がうまいのは、原作小説がよく出来ているからでしょうね。女性にしか書けない世界だわ。女性におススメ、男性には覚悟して観てね、と言ってあげたい作品です!

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by honyakusha | 2017-06-18 09:30 | 本・映画・舞台 | Comments(0)

メンターとの出会い

1年半前から息子がギフティッド教育を受けています。この土日は、年に1度のギフティッド教育カンファレンスに参加しました。アメリカからスティーブ・スミュイン先生が来日してお話してくださり、充実した2日間でした。

そんな中で、ギフティッドの子供たちにとって非常に大事なことはメンターと出会うこと、というお話がありました。私はギフティッドではないけど、メンターの大切さは感じます。私は通訳学校時代にワークショップでメンターに出会いました。来期はどの講座を受けようかな、とパンフレットを見ていた時、その先生が教えるワークショップの説明を読んで「これだ!!!」と思いました。

その思いに間違いはなく、私は先生のクラスを受講した2年で非常に多くを学び、先生からも、今まで教えた中で最も成長を感じた生徒という講評をいただきました。

今も日々の仕事の中で、先生の教えを思い出すことがよくあります。今回は「オズの魔法使い」からの引用があったんですが、かつて先生が、「この作品はアメリカ文化において非常に大きな位置を占めていて、何かと登場します。要チェックですよ」とおっしゃっていたことを思い出しました。今回は歌詞だけが引用されていたので、危うく気付かずに訳すところでした。

先生の教えだけでなく、「私も単なる英語学習者ですから」という謙虚な姿勢も尊敬しています。息子も素敵なメンターと出会えますように。

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by honyakusha | 2017-06-14 06:19 | 教育 | Comments(0)

ペンテコステ=聖霊降臨

先週の日曜はペンテコステ礼拝でした。

日曜の礼拝で私はいつもアメリカ人の青年(見た目がShaun Evansにそっくりなので仮名Shaunとしておきます)に通訳しています。牧師のメッセージをウィスパリングで日本語→英語に訳してるんですが、聖書に書かれていることの解説なので、日常的にはあまり使わない日本語も多く、それに対する英語は???となることもしばしば。

復活=resurrection
贖い(あがない)=redemption
戒め=commandment
悔い改める=repent
十字架につける=crucify

などはよく登場するので、慌てずに訳せるようになりました。

今回は牧師の話の中に「化体説」という言葉が出てきたけど、英語で何というのか分からなかったので、牧師による「
聖別されたパンと葡萄酒は、キリストの肉と血が実体化したものであるとするカトリックの教義」という説明をそのまま伝えたら、Shaunがそれは英語で「transubstantiation」または「consubstantiation」と言うのだと教えてくれました。忘れないようにとここに書きましたが、長い単語なので覚えられないかも。

「贖い(あがない)」は単なる日本語としては「償い(つぐない)」とほぼ同じ意味のようですが、「キリストによる贖罪」に関しては必ず「贖い」で、決して「償い」とは言わないのですよね。

「贖い」はNHKの漢字表記ではルビが必要だけど「償い」の方は漢字だけで字幕にも使えることになっています。でも、J・マカヴォイとキーラ・ナイトレイ主演の映画「つぐない」はひらがな表記。
原題「Atonement」ですが、atonementの意味は「償い、あがない」the Atonementは「キリストの贖罪」とあります。
イアン・マキューアンによる原作小説「Atonement」の邦題は「贖罪」、でも内容は特に神様と関係なく、人間によるatonementだから映画の邦題は「つぐない」が分かりやすくてよい、ということかな。
文学的表現と、より多くの層にアピールしたい映画の表現の違いが興味深いです。

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by honyakusha | 2017-06-09 13:39 | 歳時記 | Comments(0)

「スプリット」と「ガール・オン・ザ・トレイン」

最近観たサスペンス映画2本。
「スプリット」は個人的にジェームズ・マカヴォイのファンなので、劇場公開後早々に観に行きました。
「M・ナイト・シャマラン作品史上最も衝撃的なラスト!」という触れ込みですが、それはちょっと肩透かしだったような…。

多重人格者役のマカヴォイの演技は、楽しめました。マカヴォイはスコットランド出身で、普段のインタビューや「フィルス」などではスコットランドアクセントだけど「X-MEN」シリーズではいかにもオックスフォード大卒風だったり、いろんな話し方が出来るところが興味深いのです。今回は1作で何人もの話し方をしていて、持ち前のカメレオンぶり全開でした。

字幕も勉強になりました。一人の人物だけど多重人格なので、場面によって潔癖症の男性だったりオネエ風のデザイナーだったり、女性だったり子供だったりもするので、一人称からして変わっています。聞こえてくる英語で伝わるニュアンスもあると思いますが、場面によって人格が変わっていることを字幕で表現する高度な技術を目の当たりにしました。字幕翻訳は風間綾平さんです。

「ガール・オン・ザ・トレイン」の感想は改めて。

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by honyakusha | 2017-06-07 06:34 | 本・映画・舞台 | Comments(0)