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術後4年半経過

乳がんの術後4年半検査の結果を聞きに病院へ。
今回も特に異常はなし、とのことで安心しました。
5年間のホルモン剤治療(タモキシフェン服用)も残りあと半年。
このまま無事にいけますように。

病院でたくさん待たされるだろうと、仕事の資料をどっさり持っていったのだけど
あっという間に名前を呼ばれてあっという間に終了。
とりあえずよかった。
息子の骨折や療育と自分自身の病気の通院が重なっていた時期に比べたら
病院通いと仕事を両立する苦労もかなり減ってきたな。

帰宅後もせっせと字幕を書き続けていたら、カンバスから緊急メールで
ウィルスソフトのマカフィーを入れてるPCでSSTの不具合が多発しているとのこと。
突然ファイルが開けなくなり納品に支障をきたす例も発生だなんて恐ろしすぎる。
夫に相談して夜、対策を講じてもらいました。





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by honyakusha | 2017-09-22 05:42 | 乳がん | Comments(0)

突発性難聴の経験

乳がんに気付いた時、一刻も早く治療を開始したい、と思ったのは、過去に突発性難聴を患った時、迅速な治療のおかげで回復した経験があったから。

16年前のある朝、突然左耳が聞こえなくなった。
ロビンが私の左側から、いつものように元気よく吠えた時、なぜか「ワンワン!」ではなく「バリンバリン!」という衝撃音を感じた。そして電話がかかってきて、受話器を左耳にあてたら何も聞こえないので「朝から無言電話?」と思いつつ右耳にあてたら相手の声が聞こえた。左耳が聞こえてないことに気付いた瞬間だった。

その日は午前中通訳学校の授業があったので、準備をして家を出たけど、こんな状態で授業を受けても英語なんて聞き取れないだろうなと思った。少し前に姉が「耳が聞こえにくくなったので耳鼻科に行ったら蓄膿症のせいだった。膿を取ってもらったらすぐ治った」と言ってたのを思い出して電車を途中で下り、総合病院の耳鼻科を受診した。

検査をしてすぐに「突発性難聴だと思われます。このまま入院することをお勧めします。」と言われたけど、なんだかあまりに急な展開だったので、すぐに「分かりました」と言えず、「入院しないで治したい」などと言って断ってしまった。当時この病気に関する情報はあまりなく、初めて聞く病名だったので、事の重大さに気付いてなかったのだ。そして点滴だけしてもらい病院を後にした。

当時は毎日かなり根を詰めて通訳の勉強をしており、移動の電車やバス内でもいつもイヤホンで英語のスピーチを聞いていた。家に着くまでの間、いつものようにイヤホンで聞いてみたけど、やはり左耳はまったく聞こえない。

家に着いてインターネットで「突発性難聴」を調べたところ、すぐに治療しないとそのまま聴力が回復しない可能性もあることが分かり、これはまずいと思った。何人かの経験談を見つけて読んだ中に、病院で治療したけど治らなかったので鍼灸院で鍼治療したら少し回復した、という内容があったので、そこに書かれていた鍼灸院に電話してみた。すると鍼灸師の方が「今日聞こえなくなったんですね?だったら今すぐ入院して治療すれば治る可能性が高いです。あなたが今行くところは鍼灸院ではなく病院です。病院できっちり治療しても治らなかったら、鍼灸院にいらっしゃい。」と言ってくれた。

すぐに入院!と思ったけどその日は金曜日で時刻は既に午後4時を回っていた。こんな時間ではどこの病院も新規の入院患者を受け入れてはくれない。でも月曜まで待ったら手遅れになるかも。行ける範囲にある病院何カ所かに電話して断られた後、ようやく「仕方ないなあ、じゃ今から来ていいですよ」と言ってくれた病院があったので、大急ぎで入院の支度をしてバス→電車→地下鉄(地下鉄は騒音が大きいからやめた方がいいと鍼灸師さんに言われてたので乗車中はずっと手で耳をふさいでいた)→タクシーと乗り継いで5時半ごろ病院に着き、血液検査などしてそのまま入院させてもらった。夫には途中バス停から電話して「今から入院するからよろしく」と言ったら夫は「え?何?入院?」と。

翌日から星状神経節ブロック注射というものを首の付け根辺りに毎日打ってもらった。すると聴力はめきめきと回復して、1週間後には以前と変わらないぐらい普通に聞こえるようになったのだった。あのまま左耳が聞こえなくなっていたら、現在のように映像翻訳の仕事をすることは難しかったかもしれない。あの日電話で「今すぐ病院へ行きなさい」と言ってくれた鍼灸師さんに今も感謝しています。

そういう経験があったので、乳がんかもしれない、と思った時に「今すぐ病院へ行って治療しなくては!」と思ったのでした。

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by honyakusha | 2017-06-29 06:14 | 乳がん | Comments(0)

マンモグラフィーでは見えなかった

当初は、「腫瘍は1センチ程度でおそらく1期でしょう」という話だった。
MRI検査の結果、腫瘍が思ったより大きく、2センチ以上あるということが分かった。
腫瘍が2センチ以上となると、既にリンパ節に転移している可能性もあり、激しく不安になった。

1年4カ月前の乳がん検診時、すでに腫瘍はあったのに見つからなかったようだった。
検診を受けた病院は、手術予定の大学病院と同じ系列で乳がんに関しては最新の設備がある専門クリニックなので、手術前のMRIもわざわざこの病院に行って受けるよう指定されたのでした。

そんな最先端の病院の検診でなぜ発見されなかったのか。
「ちぇりさんの場合、マンモグラフィーの画像が真っ白でほとんど見えないんですよね。」と優しい女医先生は言った。
どういうことかと言うと、私は40歳で双子を出産し、42歳まで双子に授乳していた。双子を母乳育児するのはとっても大変なのでミルクに切り替える例も多いけど、私は割と母乳の出が良かったので、というか出産した病院がものすごく母乳育児にこだわっており、母乳以外あり得ないようなことを言われ、かなり頑張った結果出るようになったのだった。産後まもなく仕事も再会していたのですごく大変だったけど、双子が2歳4か月になるまでずっと授乳していたのだった。

その結果、45歳の時点でも乳腺が極度に発達した状態のままだったため、マンモグラフィーの画像に白く写るはずの腫瘍が、同じく白く写る乳腺組織に紛れてしまい見えなかったらしい。
検診時の画像はまだ残っていたため、女医さんもそれを見て先ほどのコメントになったのでした。
検診では超音波検査もしたので、たぶんそちらでは見えていたのではないかと。
でも超音波は異常に気付かなければ画像は残さないので、もはや分からない状態だった。

世間では、40代以降の乳がん検診ではマンモグラフィー検査が有効、と言われてる。
でも高齢出産して双子に授乳した私の場合、45歳でもマンモグラフィー検査は役に立たなかった。

優しい女医先生が、今回はカルテに乳がんのステージは「2期」と書くのを見ながら、
検診の時、最初から超音波できっちり検査していたらその時点で腫瘍が見つかっていたのかもしれない、もしそうだったら0期や1期で転移の心配などしなくて済んだかもしれない、などと考えて悲しくなった。

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by honyakusha | 2017-06-27 14:52 | 乳がん | Comments(0)

乳がんに気付いた日

今日は午前中のうちに仕事を1本納品してスイミングへ。ストレッチ30分の後、1400メートル泳いできました。
週の始まりの日曜に教会の礼拝で心をリセット、月曜に泳いで体をリフレッシュさせるというのが、私にとっていいペースです。

私が自分の乳がんに気付いたのは、自己検診でした。
骨折手術から退院した日の夜、ベッドに入り「今回の入院で家族に迷惑かけたから、今後は健康に過ごせるようにしなきゃ」と思い、そろそろ乳がん検診の予約も入れよう、その前に自己検診…と横になったまま胸を手で触ったら、あったのです。小豆より小さいけど米粒より大きな何かが左の胸に。

暗闇の中で思わずガバッと起き上がり、頭の中でいろんなことを考えました。そしてすぐに仕事部屋に行きPCを立ち上げ、山田邦子さんが自身の乳がんに気付いた時のことを書かれたサイトを読んで、「間違いない」と思いました。

当時私は47歳。1年4カ月前に乳がん検診のマンモグラフィーを受けていました。この辺りでは最も進んだ設備のある乳がん専門の病院で。その時に「右胸に石灰化があるから少し詳しく調べましょう」ということになり、日を改めて再度マンモグラフィーと超音波検査も受け、「特に心配はないからまた1年半後ぐらいに検診を受けてください」と言われたのでした。左胸に関しては単に「異常なし」でした。

自分で「これは乳がんだ」と思い、すぐに大学病院の乳腺外科を予約なしで受診しました。(受診者の急増に伴い、現在は紹介状なしだと診てもらえないようです。)足の手術からまだ10日しか経ってないので松葉杖でヨロヨロ歩く状態だったけど、とにかくすぐに治療を開始したかったのです。朝いちばんで病院に行き、診察してもらえたのは夕方だったけど、それでもその日のうちに針生検まで受けました。医師からは「たぶん良性の腫瘍だと思うけど、万一悪性だったとしても、前回の検診で左胸は異常なしだったからステージはおそらく1期でしょう」と言われました。

2週間後に生検の結果を聞きに行きました。その間何も連絡はなかったので、きっと良性なんだろうと思い家族でスキーに行ったりして(骨折前に予約していたので。私は温泉でのんびり)ほとんど忘れていました。

気軽な気持ちで診察室に入ったら「やはり悪性でした」と言われ、は?と意外。でも気を取り直して手術日程を決め、その場で夫に電話して「手術日決まったから子供たちをよろしく」と伝えました。夫は「え?何?手術?」と。


続く。

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by honyakusha | 2017-06-26 13:47 | 乳がん | Comments(0)

乳がんになったけど

小林麻央さんが亡くなった。
とても厳しい状況だと分かってはいたけど、少しでも長く生きてほしいと願っていました。
私も同じ乳がん患者として彼女に励まされた一人です。

乳がんが判明した時の気持ち、それは絶望と恐怖でした。
自分の周りには乳がんになってもその後元気に生き続けている人がいなかったから。
骨折手術の直後だったので整形外科も受診しており、
「実は乳がんの手術をすることになりました。」と言ったら医師は
「僕が診てる患者さんの中にも、乳がんの既往がある人はすっごくいっぱいいます」と、
おそらく私を励まそうとして言ってくれた。
でも、私の周りには乳がんで亡くなった人はいるけど、その後元気に生活してる人は思い当たらなかった。
乳がんに関する情報を得ようとインターネットを見ると、結果的に悲しい気持ちになることが多かった。

手術で左胸を全摘同時再建して、今年の3月で術後4年が経過しました。
今の私は以前と変わらないぐらい元気に母として家事育児をこなしながら翻訳の仕事をしています。
病気をきっかけに始めた水泳は、1時間に1400メートル泳げるまでになりました。
もっといい翻訳者になりたくて、週に1回学校にも通っています。

乳がんになったけどその後元気にしてる人は、それをあまり人に言ったりブログに書いたりしないから目立たない。でも整形外科を受診する時は問診票に既往歴として書かざるを得ないため医師の目から見たら「すっごくいっぱいいる」。
そういうことなのだろうと思います。

小林麻央さんが、病気でつらい思いをしている人たちの力になりたいと願っていたと知り
私のような人間がいることが、誰かの励みになればと思いました。

麻央さんの美しい心は、これからも毎日たくさんの人を笑顔にしていくと思います。



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by honyakusha | 2017-06-24 06:50 | 乳がん | Comments(0)