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洗礼者ヨハネの母エリサベト

先週は息子の個人面談があった。
10月の学校公開日に授業中の姿を見てかなり愕然としたのだけど
「いつもあんな感じなんですよね?」と聞いたら担任は
「あれは比較的落ち着いている時です」と言っていた。
改めてドヨ~ンとした気持ちになる。
現在は担任による支援やクラスメイトたちの理解で
なんとかなっているけど、今後はどうすべきか。

そんな中、昨日の礼拝ではアドベントにちなんだメッセージ。
受胎告知後、妊娠初期のホルモンバランスの乱れと
結婚前に妊娠してしまったことで情緒不安定に陥ったマリアが
当時妊娠6ヶ月だった親戚のエリサベトを訪問したというお話。

エリサベトは私の洗礼名なので親近感があります。
彼女は妊娠時にすでに高齢だったけど
その妊娠は神様の計画の一部であったと。
高齢出産というのも親近感。
生まれた子は後に洗礼者ヨハネとなった。

この洗礼者ヨハネは、イエスより一足先に革命的な活動を始めた人。
戒律だけを重んじ、差別がはびこる社会に対し
「神の国は近づいた。悔い改めよ」と救い主が来ることを告げ知らせ
ヨルダン川で人々に洗礼を授けていた。
ワイルドな出で立ちで野蜜とイナゴを食べ、
権威を恐れず誰も言わなかったことを言う。
私としては聖書の登場人物中で最もカッコいい存在と思っている。
きっと子供の頃から変人扱いされてたんだろうなあ。
そもそも当時のユダヤ社会では、
息子は父親にちなんだ名前をつけるのが当たり前だったのに
エリサベトは夫ザカリアとは関係ない名前をつけた。
「ヨハネ」と名付けるよう天使に言われていたから。
たぶん母も相当な批判を浴びたけど神様と自分の息子を信じて
意志を貫いたのだろう。

エリサベトに励まされました。

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by honyakusha | 2017-12-11 06:16 | 教育 | Comments(0)

カトリックの家で育ったことが字幕翻訳に役立つ

クリスマスが近づいて、街もツリーやイルミネーションで華やか。
私の育った家は祖母がカトリックのクリスチャンだったので
生後2か月で幼児洗礼、7歳で堅信を受けました。
物心ついたころから、土曜の午後は教会で要理を学んだあと告解とミサ、
日曜も朝からミサ(‟御ミサ”と呼んでいた)。
子どもの頃はこれがイヤだった。

しかし字幕翻訳の仕事をするようになったら
この経験に助けられることが多いのです。
欧米のドラマや映画では多少なりともキリスト教や聖書に関わる内容が
登場することが多いですもんね。
思い切り教会が舞台で告解室のシーンがあったりすると
自分が告解室で口にしていた文言がよみがえります。
神父様とのやり取りで使う定型の文章が書かれた紙が告解室内に置かれていて
それを見ながら唱えていました。

子どもの頃はイヤだった環境も、実はすごく恵まれていて
日々、得難い経験をさせてもらっていたのだなあ、と今では思います。
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堅信を受けた7歳のクリスマスに代母(godmother)から贈られたペンダント。


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by honyakusha | 2017-11-30 05:55 | 仕事・趣味 | Comments(0)

イエス様の癒し

日曜礼拝のメッセージはマルコ1章40~45節。
「重い皮膚病」を患っている人がイエスに癒されるくだり。
この「重い皮膚病」(新共同訳)は新改訳聖書第2版では「らい病」となっていた。
現在の第3版では「ツァラアト」に改訳されている。
これは元のヘブル語をそのままカタカナ表記しているもの。
牧師の説明によると、ヘブル語の「ツァラアト」は
ハンセン病に特定されるものではなく、複数の皮膚病を含む言葉だそう。
新改訳第3版は「ツァラアトに冒された人」となっているけど、
NHKや朝日の表記に従うと、病に「侵される」だと思う。

日本にも差別の歴史があるけど、当時もこのような病人は
けがれているとされて家族や社会から排斥されていた。
「神からも人からも捨てられた人」であり、自身でもそう思って疑わなかった。
しかしイエス様はためらうことなく「手を伸ばして彼に触って」癒された。
牧師は、イエス様はおそらくこのような患者に直接手で触れた最初の人、と言っていた。
イエス様もファーストペンギンだったのだと思うとなんだか親近感がわく。

しかし、そんなすごい癒しの奇跡をおこないながらイエス様は「誰にも言うな」とおっしゃった。
この世に来たのは罪をゆるすためで、病気を治すためではない。
病気を治してほしい人がどっと押し寄せると、罪のゆるしという本来の目的を達成できないかもしれないと思ったから。
しかし癒された人はその奇跡を言い広めたため人々が押し寄せ、イエスは町に入れなくなってしまった。
こういう人間の浅はかさにも親近感を覚えるのでした。

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by honyakusha | 2017-10-30 05:40 | 本・映画・舞台 | Comments(0)

ペテロとペトロ

イエス様の使徒として大活躍したペテロ。
礼拝中、牧師メッセージの中でもよく名前が挙がる。
しかし、新共同訳聖書では「ペテロ」ではなく「ペトロ」なのだった。

私が通ってる教会では新改訳聖書を使ってるので、ずっと「ペテロ」という呼び名になじんでいた。
Twitterで人気の上馬キリスト教会のツイートも「ペテロ」
ドラマ化もされた宮部みゆきの小説タイトルは「ペテロの葬列」
Google検索ヒット数は「ペトロ」が「ペテロ」よりかなり多いように感じるけど
「石油」「油」などの単語を含めずに検索すると「ペテロ」の方が優勢となる。

翻訳では基本的に「新共同訳」ということなので、「ペトロ」なんですね。
そう言えば昔カトリック教会に通っていた頃は「ペトロ」だった。
英語だとPeter。
礼拝中通訳しながら何度も「Peter」と言っていて、その後日本語で話す時もうっかり「Peter」と言いそうになり頭の中で変換して「ペテロ」と言う。
名前はホントややこしい。

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by honyakusha | 2017-10-18 06:10 | 仕事・趣味 | Comments(0)

ペンテコステ=聖霊降臨

先週の日曜はペンテコステ礼拝でした。

日曜の礼拝で私はいつもアメリカ人の青年(見た目がShaun Evansにそっくりなので仮名Shaunとしておきます)に通訳しています。牧師のメッセージをウィスパリングで日本語→英語に訳してるんですが、聖書に書かれていることの解説なので、日常的にはあまり使わない日本語も多く、それに対する英語は???となることもしばしば。

復活=resurrection
贖い(あがない)=redemption
戒め=commandment
悔い改める=repent
十字架につける=crucify

などはよく登場するので、慌てずに訳せるようになりました。

今回は牧師の話の中に「化体説」という言葉が出てきたけど、英語で何というのか分からなかったので、牧師による「
聖別されたパンと葡萄酒は、キリストの肉と血が実体化したものであるとするカトリックの教義」という説明をそのまま伝えたら、Shaunがそれは英語で「transubstantiation」または「consubstantiation」と言うのだと教えてくれました。忘れないようにとここに書きましたが、長い単語なので覚えられないかも。

「贖い(あがない)」は単なる日本語としては「償い(つぐない)」とほぼ同じ意味のようですが、「キリストによる贖罪」に関しては必ず「贖い」で、決して「償い」とは言わないのですよね。

「贖い」はNHKの漢字表記ではルビが必要だけど「償い」の方は漢字だけで字幕にも使えることになっています。でも、J・マカヴォイとキーラ・ナイトレイ主演の映画「つぐない」はひらがな表記。
原題「Atonement」ですが、atonementの意味は「償い、あがない」the Atonementは「キリストの贖罪」とあります。
イアン・マキューアンによる原作小説「Atonement」の邦題は「贖罪」、でも内容は特に神様と関係なく、人間によるatonementだから映画の邦題は「つぐない」が分かりやすくてよい、ということかな。
文学的表現と、より多くの層にアピールしたい映画の表現の違いが興味深いです。

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by honyakusha | 2017-06-09 13:39 | 歳時記 | Comments(0)

母の日礼拝 聖書のお話

母の日の礼拝での聖書朗読は出エジプト記20章12節。
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。(新改訳)

モーセの十戒の五番目。おなじみの教えです。十戒の一から四番目までは神様についての教えで五から十番目までが人間関係に関する戒め。人間関係の最初の戒めが「父と母を敬え」です。そしてその次の戒めが「殺してはならない」。殺人を禁じることよりも親を敬うことの方が先に出てきます。人間関係において最も大事なことが親を敬うことだというのが神様の教えなのです。
親を敬えというのは幼い子供に向かって言われたことではなく、シナイ山のふもとでモーセから直接十戒を聞いたのは主に大人たちでした。大人にとって、親は既に老いていたり亡くなっていたりするけど、その親を敬うことが大事なのです。親に対し心から「ありがとう」と言えること。
親から受けた傷を人知れず今も抱いている人も多いけれど、その傷をそのままにしていては、社会で成功しているように見えても、どこか人間関係にひずみがあるもの。
親に傷つけられたと感じているとしても、そもそも人間は誰しも不完全な存在なのに、親という人間に対し完全さを求めたことが間違いだったと。十戒には「素晴らしい父と母を敬え」ではなく単に「父と母を敬え」とあるのです。完全な愛の持ち主はもちろんアガペーの持ち主である神様であり、すべての人が神様の子供として愛されている以上、親に対しては完全な愛を求める必要はないのです、というのが牧師によるメッセージ。

私自身も亡き母に対して、いまだに複雑な思いがあるけど、少しずつわだかまりを解消していけそうな気持になれたお話でした。

19年前の母の日に、
これが最後の母の日のプレゼントになるとは思わず贈った鉢植えのクレマチス。
つぼみの時に虫に食われてしまったけど、今年の母の日にも我が家の庭でけなげに咲いていました。

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by honyakusha | 2017-05-18 11:53 | 歳時記 | Comments(0)